「今週も休まず学校にちゃんと行けた」ことを賞賛し続けていると?

七田式・滋賀、代表です。

ご覧いただきありがとうございます。

 

七田式教室は滋賀に2校。

七田式栗東教室と七田式びわ湖大津教室です。

栗東の方は自然観察の森の近くの田園地にあります。

 

びわ湖大津の方は、

びわ湖のそばのミシガンのボーっという音が響く水辺にあります。

(→ミシガンとは、びわ湖を周遊している外輪船のことです。観光の船です)

 

共に、

「心の子育て」を若いお母さま方と共有し

未来のグローバルリーダーを育てることを目指しています。

 

さて、

タイトルに関して。

 

両教室では

ご家庭での様子を記したもの(成長記録とか課題表とか)を

毎月

お母さまより

任意で提出いただいています。

 

@栗東には

小学生コースがあって

小学生のお母さまたちからも

毎月の記録が提出されます。(任意です)

 

その際、

 

私がいつも注目して拝見しているのは

 

お母さまが

お子さまのどこにスポットを当てて

「認めて」「ほめて」「愛して」「感動して」おられるのか、

という点です。

 

七田式は「心の子育て」です。

 

だから、

 

 

お子さまの

 

「心の動き」に敏感になって

「心の育ち」を見つけられるお母さん

 

になってくださるように、と

願うからです。

 

 

『今週のほめる言葉』のところに

 

「今週も休まずに学校に行けました。」

 

という文言が続いてしまうと

 

「ん?」

 

気になります。

 

「休まずに学校に行けた」に「〇」をつけるということは

 

逆説を言うと

 

「学校に行かなかった」=「×」

 

あるいは

「学校に行けない子」=「×」

 

という解釈になるからです。

 

学校に行くことは「◎」

「◎」のことをするとママが喜ぶ・ほめてくれる

という価値観で子どもが過ごしてしまうと

どうなると思いますか?

 

嫌なことがあっても、

意地悪をされていても、

辛くても、

困っていても

お母さまに心配をかけたくないから

「行かない」「行けない」と言えず、

無理をする。

 

という構図になりますね。

 

 

「今週も休まずに学校に行けたね」

は誉め言葉ではなく

子どもを追い込む言葉かもしれません。

いや、そうでしょう。

 

それからね、

 

母「今日は学校でお休みの子いた?」(←コレ聞く必要あるか?って思う)

子「○○ちゃん、休みだった」

母「また、お休みなの?」(←非難に聞こえる)

子「うん」

この何げない会話の中にも

母の

「学校をお休みする」=「×」という価値観が

無意識に含まれていますよね。

 

子どもは

 

そんな

些細な

母の「無意識」の価値観をキャッチして

自分の価値観にして育っていくんですよ。

 

 

行っても、行かなくても

そんなことは

どっちでもいい。

 

あなたがいるだけでお母さんは幸せ。

生まれて来てくれてありがとう。

 

これを言葉と態度で伝えてあげると

子どもの「自信」のタンクは

無限に大きくなるのです。

 

みんなと同じだと安心、という感覚、

平均であることが一番素晴らしい、という感覚、

「ふつう」という価値観、

少数派であることへの偏見、

 

もう、

そろそろ

いいかげん

捨てませんか?