善悪判断の基準を教えてあげるのはお母さんお父さんの仕事

SHICHIDA栗東教室 外観玄関

滋賀県の七田式公認教室

七田式栗東教室です。

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

ある小学生クラスでの出来事です。

 

レッスン中に

教室の「窓」で遊び始めた子がいました。

 

だんだんエスカレートしていきます。

 

他の子どもは、

私をみて「注意しないのかな?」という顔をして心配そうです。

 

そのうち、

何人かの子どもたちが

 

「○○ちゃん、あかんで。」

「や~め~て」

 

と言ってみましたが、

一向に止める気配はありません。

 

レッスンはその間も淡々と進みます。

 

そして、

レッスンの区切りがついた時、

このように話しました。

 

 

「○○さん、

してもよいことか悪いことかの判断がつきませんでしたか?

 

先生に『駄目よ!』

と叱られたらやめるつもりでしたか?

 

みんなはもう善悪の判断がつく年齢なので

先生もそのように心得て接しています。

 

先生が「駄目」と怒るからやめる。

先生が「駄目」と怒らないからする。

 

これではいつまでたっても「自立」できません。

 

先生や親の顔色を見て行動する、

というのはいけません。

 

自分の頭で

善悪の判断をして行動して下さい。

 

先生はそれができる子どもたちだと信じて

接しています。」

 

と。

 

自分で善悪の判断ができる、ということ。

疎かにしていませんか?

 

お母さんの「怒る怒らない」が

善悪の基準になっているのであれば

 

お母さんがいないと善悪判断がつかない、

ということになってしまいます。

 

 

 「お母さんに怒られるから○○する。」

「お母さんに怒られるから○○しない。」

 

の図式が定着してしまって、

結局困るのは子どもですよ。